労音の歴史と実績

 

 2007年、労音運動は58周年を迎えました。「労音」は、「勤労者音楽協議会」の略称です。労音運動は、うたごえ運動とならんで、日本の勤労者の大衆的民主音楽運動として、日本の音楽文化の発展に寄与してきました。労音は、「自分たちの聴きたい音楽を割り勘で!」と1949年11月、大阪で関西勤労者音楽協議会として467名の会員で発足しました。太平洋戦争の敗戦によって天皇制による圧制が崩壊し、勤労大衆は自らの生活を守り、平和国家再建のために立ち上がる中、労働運動をはじめ、あらゆる分野で民主的な運動が野火のように全国を覆っていった時期の創立でした。以後、「よい音楽を安く多くの人々に!」「企画・運営は会員の手で!」をスローガンにした労音運動は、勤労大衆の音楽文化要求の高揚とともに成長を続け、’59年には77労音・会員32万人、’65年には192労音・会員65万人へと発展したのです。


 この間、一部特権階級の者であったクラッシック音楽を勤労大衆の眼前に「生のステージ」として実現⇒流行歌、ジャズなどポピュラー音楽のステージコンサート形式の創造と定着⇒労音ミュージカル・オペラ・合唱組曲などの創作……等、日本の音楽文化向上に貢献した数々の実績は高く評価され、「労音のステージに出れば歌手・演奏家として一人前」とさえ言われるまでに市民権を得られたのです。


 しかし、高度経済成長のもと事態は一変します。「消費は美徳」に代表される社会変化や異種の鑑賞団体の出現(「音協」「民音」)、音楽産業の肥大化に伴う国民の音楽要求の多様化・細分化の進行、テレビ・オーディオの普及……などが合いまって、労音は’65年をピークに会員数は減少の一途をたどり、財政破綻から解散・休会する労音が出はじめ、加盟団体数、会員数ともに大幅に後退してしまいました。


 しかし、唯一の民主的・大衆的音楽鑑賞団体である「労音」はドッコイたくましく生きています。「50年の輝く労音の灯を消すな」の想いは熱く「人間的にふれ合える労音を創ろう!」・「地域の文化に責任を持つ労音を創ろう!」という献身的な活動が、秩父・所沢・狭山・深谷・川越・大宮の県内労音をはじめ、全国44の労音で60周年に向けて明るく力強く展開されているのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

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